ホワイトノート

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映画『聲の形』は当たり前の愛の大切さに気づかされる映画だった。ネタバレ感想・考察

 

『君に生きるのを手伝ってほしい』

 

唐突ですが、この言葉は映画『聲の形』 のキャッチコピーです。

なんて美しい言葉なんだろうって思いませんでしたか?

私はこのキャッチコピーを観た瞬間に映画館に行くことをきめました。

映画館でももちろん観たこの映画。あまりによくてDVDでも観たので、感想+考察を記事にしようと思います。

 

人間ってひとりでは生きられないんです。

 

聞きあきた言葉ですよね。

映画をよく観る人なら、この手の言葉は聞いたことがあるかと思います。

 

他人とのコミュニケーションから逃げる主人公の将也と耳が聞こえずコミュニケーションがむずかしいヒロイン硝子。

そんな他人とかかわることの難しいふたりのふれあいが描かれたこの映画には、この言葉の意味を他のどの映画よりも痛感させられました。

 

映画『聲の形』のあらすじ聴覚の障害によっていじめ(嫌がらせ)を受けるようになった少女・硝子と、彼女のいじめの中心人物となったのが原因で周囲に切り捨てられ孤独になっていく少年・将也の2人の触れ合いを中心に展開し、人間の持つ孤独や絶望、純愛などが描かれる。物語は2人が小学校時代における出会いの回想から始まることになる。引用:wikipedia

 

 

テーマ

この作品の原作のテーマは「人と人が互いにきもちを伝えることの難しさ」です。

 

・いじめをした結果、自分もいじめられるようになり、その経験から他人の顔を観られなくなり、声もまともに聞くことができなくなってしまった主人公・将也

・聴覚に障害があり、うまくしゃべることも聞くこともできないヒロイン・硝子

・将也への恋心も打ち明けられず、硝子への複雑な気持ちを不器用な刺々しい言葉でしか伝えられない植野。

・硝子の自殺未遂を思いとどまらせるため、動物の死体の写真を撮り、家中に飾っていた結弦。

 

物語の主軸を動かしていたのはこの4人でしたが、全員抱えた複雑な想いをうまく伝えられずにいました。

最終的にそれぞれがそれぞれの想いをちゃんと伝えられたのかは微妙です。

硝子なんて将也に「好き」と伝えたのに聞き取ってもらえないまま、最後に伝えなおすということもありませんでしたね。

でも、きっとエンディングはこれからふたりは分かりあって、お互いの気持ちに向き合うことができるのだろうなと思えるものでした。

人と人とが想いを伝え合うのは言葉だけではないということを感じ取れますね。

 

最初は胸糞悪いことこの上ない

この映画を観たあなたならわかるでしょうが、最初はこの映画胸糞悪いとしか言いようがありません。

最後はそんな胸糞悪さから、折れ線グラフでいうと一気にのぼっていくような爽快で美しい終わり方なのですが、やっぱり最初の胸糞悪さは相当なものでした。

どうして、こんなにも胸糞悪さを感じたのか。その理由を考えていこうと思います。

 

イライラポイント① 先生

聴覚に障害のある硝子のことを理解できずにいじめてしまう子どもたち。

冒頭の小学校時代の硝子へのいじめシーンはたいへんに理不尽で辛いものでした。

 

でも、この映画で子どもたちが障害を理解できないのなんて当たり前なんです。

大人が理解できるように導いていないのですから。

 

特に担任の先生はひどいものでした。

硝子が浮き始めていることに気が付いていながら、なんの対策もしていなかったように見えます。

手話を朝の会で教えることを提案したのは映画内の空気からみても、あの担任ではないでしょう。

 

いじめの主犯を知っていたとしても、クラスの子どもたちの前で公然と「おまえだろ」と怒鳴りつけるなんてありえません。

しかも、一緒にいじめていたと知っていただろう植野に将也のいじめを告発するように促しています。

好きな相手だった将也を売ってしまった植野にも、その後いじめられるようになってしまった将也にもおおきな傷をつけてしまったのは、この担任の先生でしょう。

 

でも、「いるいる」という先生でしたよね。

仕事だとわりきって先生をしているというか、生徒のことをもののようにしか見ていないというか……。

この「あー、いるよな」という感覚がさらに胸糞悪さを煽ったのかもしれません。

 

イライラポイント② 川合みき

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引用:映画『聲の形』公式サイト

真面目でかわいらしい容姿の彼女は、女の武器を使う子でした。

いじめをしていた自覚はなく、傍観者の立場に常に自分を置き、硝子に対する悪口に笑いながら「だめだよ」ということで「自分はいじめていない」という自分自身がもつ正義感を守ってきた彼女。

しかも、自分が責められて危うい立場になったら泣く・大声を出すなどの女の武器を使う非常に胸糞悪い子でした。

 

でも、この子のことをじーっと見ていて思うのです。

 

ああ、私ってこの子に似てるのかもしれない

 

・誰かが傷ついているときに見て見ぬふりをしてしまった。

・誰かの悪口に笑って同調してしまった。

そんな経験が私にもあります。

特に中学生・高校生くらいのときはそうでした。

少し大人になれば、そんな自分の愚かさが恥ずかしくてたまらなくなったりもするのです。

川合みきはまだ子ども。高校生です。

そんな自分の子どもの頃の愚かさと残酷さ、弱さを彼女には感じました。

それが胸糞悪さの原因だったのでしょう。

自分を見ているようで嫌だったんです。

この映画において、胸糞悪さは力強いバネ

私が特にイライラしたポイントを2点あげましたが、いじめのシーンはもちろんイライラしました。

将也の友達だったのに、将也の立場が弱くなると唐突にいじめ始めた島田・広瀬にもイライラしました。

でも、彼らもきっと子どもの残酷さを持っていただけなんです。

 

誰にでもどこか経験があって、見覚えがある。

そんな胸糞悪い経験だからこそ、観客にしっかりとした胸糞悪さを植え付けることができているのだと思います。

 

この植え付けた胸糞の悪さは、しっかりと後半で芽を出します。

それぞれのキャラクターの成長、美しい映像、抱えた複雑な想い。それらのすべてが重なったときに胸糞悪さによってさがったテンションが駆け上がり、大きなカタルシスを生むのです。

観客に「イラっ」とさせるのも技術です。

この映画はその技術にたいへん長けていると感じました。

 

自殺シーンと家族の愛について

 主人公もヒロインも自殺を図るシーンがありますね。

主人公・将也は硝子をいじめていた罪悪感と自己嫌悪、孤独に押しつぶされて、冒頭で自殺を図ろうとしています。

そのけじめとして会いに行った硝子に「友達になれないかな」と伝えたことによって、少しずつ人生に希望をもつことができるようになっています。

 

これは、最初にこの記事で書いていた「一人では生きていけない」ということに繋がっていると思いませんか?

 

硝子が自殺を図ったのは周囲を不幸にしてしまう自分への、こちらもまた自己嫌悪と罪悪感です。

硝子を将也が助けようとするシーンは泣けましたね。

「明日からは嫌なことから逃げません」と神にあと一絞りの力を求めて祈る台詞は涙なしでは見られませんでした。

自分もきっと大切な人を救えるなら、神にでも祈ります。

どんな辛いことでもがんばりますと神に誓います。

この映画はこういう「私もやってしまうかもしれない」という自己投影をさせる技術にも長けていました。

 

さて、自己嫌悪・罪悪感。これらに将也・硝子が勝てずに自殺を図ったのは孤独だったからです。

将也は硝子に出会ってから自殺を思いとどまっていますが、硝子はたくさんの友人に囲まれていても自殺を図ったじゃないかとお思いかもしれませんが、硝子は自殺を図るまで「勝手に孤独になっている女の子」でした。

 

硝子は周りの友人を「不幸にするから」といって勝手に遠ざけて、勝手に孤独になって、勝手に自殺を図ったんです。

これは彼女の弱さでした。

将也の意識がなくなっている間に、彼女はこの弱さを克服していますね。

きっと、これから先は大丈夫でしょう。

 

将也・硝子に共通していたのは、「愛に鈍い」という点です。

将也・硝子。ふたりが出会う前までは本当に孤独だったのでしょうか?

私はそうは思いません。

だって、ふたりには家族がいました。

 

将也の母親は将也が自殺を図ったと知って泣いて悲しみました。

将也の姉の子ども・マリアは将也のことが大好きです。

硝子の母親は硝子のために将也をはたきました。

硝子の妹・結弦は硝子が自殺を思いとどまることを望んで、自分でも「趣味が悪い」と思っていた動物の死体の写真を撮っては家中に飾り、過去に硝子をいじめていた将也が硝子に近づくことを阻止しようと努力していました。

 

こんなにふたりは家族に愛されていたんです。

それなのに、孤独だった。

家族からもらう愛があまりにも当たり前で、きっと見えなくなってしまっていたんです。

 

これって、あなたには当てはまりませんか?

私には当てはまってドキッとしてしまいました。

私はメンタル的にあまり強いほうではなくて、自殺を図ったこともリストカットをしたこともありませんが「死んでしまいたいな」「孤独だな」と思ったことは何度もあります。

でも、冷静に考えると、私は幸いなことに家族に愛されていて、死んでしまったらきっと悲しんでくれるだろう友人がいます。

自分が辛いとき、自分が大嫌いになってしまったとき、そういう当たり前の愛情が見えなくなってしまうんですよね。

 

将也・硝子は自殺を図ったことで、周囲の愛に気が付いたのだと思います。

孤独ってきっと勝手に孤独になっていることが大半なのじゃないかと思わされる映画でした。

 

 

 

爽やかで美しいイラストで描かれる人間の弱さと残酷さ。そして、愛情。

人間のリアルを描く素晴らしい映画でした。

重いけど爽やかな映画。

泣きたいとき。自分が大嫌いなときに観ていただきたい映画です。